[ 1986年以降の油彩画(一部オイルクレヨン画など) ] |
色とはなんなのか?…という問題にぶつかると、 突然色を使えなくなった。 色を使うことが怖くなった。 しかし、ここから色を色として識るための出来事が 始まったのだ。 それは、自分の大好きな色を、 人にとって豊かなものに できるようにして行く 始まりであるのかもしれない。 |
大好きな色が使えなくなることで、 逆に見えてくる豊かなものもあるだろう。 それが見えれば、色を通して感じている“もの”の本当の姿が、 より明らかになるだろう。 きっと人は、そういう好きなものを通してしか“もの”をみれないのだ。 つまりそれが自分なのだろう。 だから自分は、あらゆるものの本当の姿を識るために 透明にならなくてはならない。 |
色の向こうにある本当の姿を探す。 |
自分に染まった色ではなく、色の本当の姿を探す。 |
しかしそれは、どこにあるのだろう… こうして、色を訪ねる旅が始まったのだろう。 |
部屋に籠もって描くことが辛くなった頃、長野の自然に出逢い 度々スケッチに出かけた。 |
アルプスは透明な空気と光で迎えてくれた。 ここでは、地上的などろどろとした重さを 洗い流してくれた。 そして、ここで考えることは どこか地上的ものに縛られない 軽やかさがあると感じた。 しかし、同時にそれは、 自分の足元を見失うこととなる。 |
窓越しに見た夜の空 |
上は、初個展の看板。 これが一番良かった…と言った人が居た。 その時は、なんのことだか解らず“むっ”とした。 |
油絵が描けなくなってインスタレーションという表現スタイルを試みた。 色で表現できないものが、素材の中から顔を覗かせる。 |
2〜3年して、赤い色がまず現れた。 意味などは解らなかった。 |
色を抜いた絵の中で一番気に入っている絵。 しかしこれはまだ自分の表現にはなっておらず、 借り物に過ぎない。 自分の表現… 一番やりたいことは、一番難しいことなのかもしれない。 |
八つの災難に遭っていた頃の自画像です。 お見苦しい処をお見せすることをお詫び申し上げます。 |
生き甲斐となっていた銀座のギャラリーでの活動では、 様々なカルチャーショックを体験させて頂きました。 その中の一つ“即興演奏”を故郷の展覧会でお披露目している ところ… といいたいのですが、実はどこで止めようかと 冷や汗をかいているところ。 だれかとめて… |
男と女が抱いているのは石です。アイなどではないのです。 |
自分の背後にあるもの |
行き詰まった自分 |
色彩の魔力 |
色の中のバランス |
男と女を隔てる見えない壁 |
愛したいのに愛せない… |
愛したい… |
人間でありたい… |
自分の中の救われないもの… |
私の一番愛するもの… |
未熟である自分は、まず自分を知らなければならなかったのです。 この最愛と思っている自分の本当の姿を識らなければ生きて行く ことになんの意味も見いだせないと思ったのです。 ひょっとしてこれは病気? 自分とは一体何なのだ? |