[ 1981〜1986年頃のオイルクレヨン画と油彩など]
1982年“人間の幸せの本質”について纏めた後、引き続き インスピレーションをクレヨンを使って絵にしたもの。一辺が 10p程のエスキース(下絵)となり、これを元に油彩画にした |
自分が選ぶ色は、当初から無機質でないものだった。 油彩・グワッシュ(不透明水彩)・オイルクレヨンどれも 有機的な質感がある。 |
技法など何も知らずに油彩を始めた。始めはぬり絵である。 |
当時、額縁というものに違和感を持ち、わら縄を使い壁から 浮かしてみた。自分では額という問題を克服したつもりで いたら、逆に意識しすぎではないかと言われた。 自分の思いを人に届けることは、なんて難しいのだろう… |
抽象画として描いていた。 しかし本当のところ曖昧画であったと思う。 自分の感じたものを人に伝えるため形にすることとは、その時の 自分自身と、まずは向き合わなくてはならないということである。 …人に伝わらないものが 自分に足らないことであることを思い知らされる。 表現して行くことは、自分を確かめて行くことなのでもある、 と識らされる。 |
絵はいつしか自画像となる。 |
内的な自画像である。 |
表現を始めると、自分自身が克服すべき課題なので あろう…、まずは自分の中にある醜いものが浮き出す。 そして、その後も水先案内するように付き添う。 |
100を越える絵を飾らせて頂いた最初の個展会場の風景です。 |
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グワッシュで描いた絵 |
自分の中から現れるものは、ある面美しく、ある面醜い。 ある面本当であり、嘘も含んでいる。新しいと思っている ものは、既に行われたものであり自分が只知らないだけ なのである。…しかし、そのような客観的な知は 智となり得るものだろう。 |
表現を通して、自分を再発見して行く。ただ、それだけである。 そこには誰かに評価されるものは存在していない。 自分が評価すべき問題が横たわっているだけなのだ。 そこを忘れた作品は、表現では無くなる。 |
自分を確かめる。しかしそのことで人を傷つけることもある。 そのことをしっかり識らないと、永遠に自分は自分の理想に は届かない。自分の理想などおこがましくてとても口になど できないが、なによりも大事な問題である。 |