[ 拙著・虹彩法虹の贈り物編≠ノついて その1]

1996年、北海道を野宿しながらスケッチして回った。なかでもキリッタップ岬はとても好きで二週間くらいお世話になったと思う。そこでの出来事が、現在描いている画法の元になっている体験であります。
(このホームページのトップに置いた画像は、偶然にも2008年8月8日18時30分に撮影できた現在のアトリエの傍の灯台から撮った虹であるが、)霧多布で見たその時の虹とは、
 
 このような姿で、天をすっぽり包むような虹でした。(ちなみにこの写真は現在準備している“ギャラリー風の境界”の近くの公園から見た陽の出前の風景です。)

その時は、その後にその虹よりもすごく感動した風景を見ていたので(これは拙著の中で、表現を試みます)あー、これが自然界にある全ての色の基なんだ。と独り合点して、その後に続く光景に心は奪われて行きました。

ところが、この体験から虹のことが頭から離れなくなってきたのは、郷里に戻ってきてからのことです。何を見ても、どこを見ても虹の姿を見出すことができました。それは、ついに、というべきか目を閉じているまぶたの中にも現れ、その粒子とおぼしき虹の姿は、物体を通り越して物体の中にまで浸透できる性質のものだと云うことまで解りました。これは、大発見だと独り合点したのですが、それは、当然のことでした。だって、虹は太陽から送られてくるのです。太陽は、地球上のあらゆる存在に浸透しているのです。本当に当たり前のことだということが解ったのです。
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