[ 虹の贈り物編≠ノついて その2 ]



 この拙著は、色に対する思いを綴らせて頂いたものです。

当然のことではありますが、色は誰のものでもなくどのように扱うかは、人間自身にゆだねられている水や空気と同じ類に扱われるものだと思います。しかし、このような、人間の意志に従い望むままの形になるものは、実は人間が生きていく上になくてはならないものばかりです。…なぜこのような存在は、このような姿であるのでしょうか。…命を支えるものであるからこそ、もっとそのための制約があって良いのではないのでしょうか?生きる上に大事なことは、もっと容易に手に入らないものであってしかるべきなのではないのでしょうか。…この当たり前のこととは、命をはぐくむものとは、何故命を育むものとなり得たのでしょうか?

私たちを取り巻くのはこの自然です。
自然は何も語らず地上の命を育みながらも時には恐ろしい姿にもなって、我々人間の力の小ささを思い知らせたりもします。今回の、東北地方を襲った災害は、その最たるものであり、我々人間にあらゆる苦難を与え、世界中の人たちがそのことを一緒になって考え、ひとりひとりができる事を、ひとりひとりが考える出来事となりました。

太古の昔から繰り返されたであろうこのような地球規模の災害に遭遇していると言うことは、それだけみてもただ事でないことが今起こっているのだと思う。そして多くの人が、自分に何ができるのであろうかと考え、何もできない自分も含め、心苦しい毎日を送っていらっしゃるに違いないと思う。災害は、いつ何時自分の身に起こるかもしれない。そのことをこんなに身近に感じたことはなっかった。

こんなにも簡単に、人間の命の置かれている状況は変わるのだ。

それは明日…いや、それは今日、今すぐにでも起こるかもしれない誰もが置かれている足元であるのかもしれない。

少なくとも、地球という人間の住む星はそのようなものであることを告げ識らされた。

この、命を育むものと、命を破壊するものとは、人間に何を示そうとしているのだ…
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